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百万石まつりとは

まつりに関わる歴史上の人物紹介

前田利家

(尾山神社所蔵)
 天文7(1538)年、尾張国荒子城主・前田利昌の4男として生まれる。14歳で織田信長に仕え、血気盛んな武勇で「槍の又左」の異名をとった。永禄元(1558)年、21歳でまつと結婚。天正3(1575)年に越前府中(福井県武生市)城主となり、天正9(1581)年に七尾城を築き、2年後に尾山城(金沢城)に入る。豊臣秀吉の晩年には五大老の1人として徳川家康と並ぶ実力を持った。慶長4(1599)年、大阪城内で62歳で死去。
お松の方

(桃雲寺所蔵)
 天文16(1547)年、尾張国海東郡沖ノ島で生まれる。12歳で利家と結婚、長男利長など2男8女をもうける。豊臣秀吉、おね夫婦とも親交があった。戦国武将の妻として、賤ケ岳の戦いの際は柴田勝家に味方して敗れた夫に代わって豊臣秀吉との和議に尽力した。利家の死後は芳春院として仏門に入り、18年間にわたり二代利長、三代利常を見守った。徳川家康が前田家に嫌疑をかけた際には自ら江戸に上り、15年間、人質として在住した。元和3(1617)年、71歳で死去。
珠姫

(天徳院所蔵)
 慶長4(1599)年、徳川二代将軍秀忠の二女として生まれた。お松の方が人質として江戸に赴いたのと引き換えの意味合いという政略結婚のため、3歳の時に当時10歳の前田利常の正室して輿入れした。江戸からの嫁入り行列は数百人のお供がつき、幼い珠姫を退屈させまいと狂言師が道中御輿の先に立って踊ったとの言い伝えがある。加賀藩四代藩主光高ら3男4女をもうけたが、元和8(1622)年、24歳の若さで短い生涯を終えた。菩提寺は金沢市小立野4丁目の天徳院。
前田利長
 加賀藩二代藩主。利家の長男、母親は芳春院。永禄5(1562)年、尾張国荒子に生まれる。慶長5(1600)年、関ケ原の戦いで東軍に参加、加・越・能120万石の大大名になる。慶長10(1605)年に弟の利常に封を譲り、富山に引退した。4年後、富山城が火災に遭い、高岡城を建築して拠点を移す。利長は豊臣秀吉から徳川家康へと移る天上人の世界を巧みな政治的手腕で乗り切った。利家の領国統治を推し進め、利常の領国支配への布石を行った。
前田利常
(那谷寺所蔵)
 1593〜1658 加賀藩三代藩主。利家の4男、母親は寿福院。百万石を安泰にするため凡庸を装ったという「鼻毛の殿様」の逸話で有名。実際には行政、文化面で数多くの業績を残した加賀藩随一の名君とされる。中でも加賀藩農政の基本体制となる改作法の創始は名高い。寛永16(1639)年、小松に隠居すると同時に加賀・富山・大聖寺の三藩分治策を行うなど、徳川幕府との息詰まる緊張関係の中で「富国文化」政策を貫徹し、金沢城下町の骨格も利常の時代に固まった。
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